2016年2月15日月曜日

遍路

wiki/江戸時代頃から西国三十三所観音霊場、熊野詣善光寺参りなど庶民の間に巡礼が流行するようになり、そのうちの一つが四国八十八箇所である。これを模して四国別格(番外)霊場や小豆島には小豆島八十八箇所霊場・江戸には御府内八十八箇所霊場など、全国各地に大小さまざまな巡礼地が作られた。「移し」または「写し」とも呼ばれ、四国遍路隆盛の証左ともいわれている。
88の霊場寺院を結ぶ道を遍路道という。阿波国の霊場(23か寺)は「発心の道場」、土佐国の霊場(16か寺)は「修行の道場」、伊予国の霊場(26か寺)は「菩提の道場」、讃岐国の霊場(23か寺)は「涅槃の道場」と呼ばれる。
他の巡礼地と異なり、四国八十八箇所を巡ることを特に遍路といい、地元の人々は巡礼者をお遍路さんと呼ぶ。また、霊場に参詣することを「打つ」と表現する。八十八箇所を通し打ち(後述)で巡礼した場合の全長は1100[1][2] - 1400km程である。距離に幅があるのは遍路道は一種類のみではなく、選択する道で距離が変わるためである。自動車を利用すると、打ち戻りと呼ばれる来た道をそのまま戻るルートや遠回りのルートが多いので、徒歩より距離が増える傾向にある。一般的に、徒歩の場合は40日程度、自動車や団体バスの場合で異なるが8日から11日程度で1巡できる。さらに、高速道路の整備により、最短で巡拝する熟練者は5日で1巡する。
遍路は順番どおり打たなければならないわけではなく、各人の居住地や都合により、移動手段や日程行程などさまざまである。1度の旅で八十八箇所のすべてを廻ることを「通し打ち」、何回かに分けて巡ることを「区切り打ち」といい、区切り打ちのうち阿波、土佐、伊予、讃岐の4つに分けて巡礼することを特に「一国参り」という。また、順番どおり廻るのを「順打ち」、逆に廻るのを「逆打ち」(さかうち、または、ぎゃくうち)という。近年は順序にこだわらず打つことを「乱れ打ち」といわれている。一般的には順打ちによる道案内がなされており、逆打ちは道に迷うといった苦労も多いため3倍の御利益があるともいわれている[3]。俗説によれば、逆打ちは、弘法大師に無礼を働いた伊予の豪商・衛門三郎が大師に許しを請うため遍路に出たが、20回以上巡礼しても追い付けず、閏年申年に逆回りを試して出会えたという言い伝えによるともいう[3]。閏年に逆打ちを行うと倍の御利益があるとする考えもあり、閏年には逆打ちが平年に比べ多くなる。旅行会社によっては逆打ちのツアーを組んでいるところもある[3]
遍路(巡拝者)は札所に到着すると、およそ決められた手順(宗派や指導者によって多少異なる)に従って参拝する。それは、手水舎でお清めをしたのち本堂大師堂において燈明・線香奉納をし般若心経・本尊真言・大師宝号などの読経を行い、最近は希になったが御詠歌を唱え、その証として納札(おさめふだ、後述)を納める、また、写経を納めることもある。
境内にある納経所(のうきょうじょ)では、持参した納経帳(のうきょうちょう)や掛軸白衣に、札番印、宝印、寺号印の計3種の朱印と、寺の名前や本尊の名前、本尊を表す梵字の種字などを墨書してもらう。この一連の所作を納経ともいう。
八十八箇所すべてを廻りきると「結願」(けちがん、結願成就)となる。その後、高野山奥の院)に詣でて「満願成就」となるが、これは特に定められたものでないものの、納経帳や掛軸に高野山奥の院の項があるので参拝するのが一般的である。



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